2005-07-01
町田康の「浄土」を買ったら、その中に「本音街」という興味深い題の小説がありました。みんなが本音だけを話すという街です。
喫茶店に入ってコーヒーを頼むとケーキをすすめられ、どうしてすすめるのかを聞くとたくさん作って売れ残っているからだと答えるので、それはうまいのかと聞くと、材料が安いしお菓子作りも下手なのでまずいと言われ、まずいケーキなら食べたくないと言うと、では他の客にすすめるからいいと店員があきらめる・・・と言うような感じで話が進行していきます。
みんなが本音だけ言うと世の中がぐちゃぐちゃになりそうですが、この話の中では、飾りを取って本音の部分だけを言うからむしろ人々がさっぱりと断ったりあきらめたりすることができるということになっています。そんなにうまくいくものかと思うのですが、そこが小説の面白さです。
ここからは実話。
私の友人のJ子は、食べ物の好き嫌いが激しくて、一口食べた途端に「うわあ、まずい。これあげる食べて」と、そばにいる人にその食べ物をあげようとします。あまりにひどいと私は思いましたが、J子はこう言うのです。
「私がまずいと感じても他の人にはおいしいかもしれないじゃない。もらったその人がおいしいと感じたら食べればいいし、その時に私が“まずい”と言っていればその人も遠慮なくもらって食べれるでしょ」
一見、ただのわがままに見えるのですが、J子なりに理論はあるようです。しかも、あげる食品はJ子が自分で食べようと買ったものなので品質は悪くないし、すすめる相手も無礼にならない程度の気のおけない人にだけらしいのです。見ていると、「え、もらっていいの?全部?」と喜んでいる人も多くいるので、なるほどそういうこともあるのかと納得。
でも私は、「人の食べかけは欲しくないし、そばで『まずい』と言われれたものは試してみたくない」とはっきりJ子に言ったので、J子は私にはすすめることはしません。私とJ子の関係は程よい「本音街」にあるのかも、と私は一方的に思っています。
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